なかなか決まらないスケジュール 発表された試合地はイギリスのグラスゴー
イヤホンからはクイーンの代表曲『ボヘミアン・ラプソディ』が流れていた。
成田空港発、アムステルダム経由、グラスゴー行き。KLMオランダ航空のエコノミー席に設けられた小さなスクリーンに映しだされた映画はその名も『ボヘミアン・ラプソディ』。伝説のバンド、クイーンの伝記映画を鑑賞しながら、「やっと出発できたな」と大きく息をついた。
旅の目的はボクシングのワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)バンタム級準決勝、井上尚弥(WBA王者)vs.エマヌエル・ロドリゲス(IBF王者)の取材だ。5月18日、英国はスコットランドのグラスゴー、会場はSSEハイドロというスケジュールが発表されたのが2月13日のこと。横浜で行われた準々決勝が昨年の10月で、井上が所属する大橋ジムの大橋秀行会長が「近々、発表できる」と話していたのが11月の下旬だったから、発表はかれこれ2カ月以上もずれこんだ。
理由はWBSSを主催するコモサAGの財政難に端を発する、どうにも頼りない大会運営にあった。バンタム級以外で開催中のスーパー・ライト級ではスケジュールがなかなか決まらず、出場辞退をちらつかせる選手まで出ていた。そうした状況でバンタム級準決勝のスケジュールが発表されたのだから、関係者はさぞ胸をなでおろしたことだろう。
日程さえ固まってしまえば舞台裏の細かいプロセスなど過去のもの。ボクシングを生業にするフリーライターもいよいよ臨戦態勢、旅の始まりである。
私たちが海外出張に行く場合、ただチケットを手配すればいいというわけではない。“仕事を作る”という作業がとても大事になってくるのだ。どういうことか説明しよう。我々はどこかしらのメディアから仕事の依頼を受け、経費の面倒を見てもらって海外に旅立つとは限らない。むしろこうした恵まれたケースはまれだ。何しろこのご時世である。どの編集部も海外出張には渋い。
だから私たちは複数のメディアに売り込みをかけながら、航空券とホテルのブッキングサイトで最安値を検索することになる。売り込みが思わしくいかないと、旅行検索サイトを見ながら、「行きたい! でも高い…」と頭を抱え、「やっぱり今回はやめておくかな…」と弱気になったりするのである。
井上尚弥の試合で「行かない」という選択肢はない
ただし、今回ばかりは「行かない」という選択肢はなかった。日本ボクシング史上、最高の傑作ともいうべき井上尚弥を追いかけない手はない。たとえ地球の裏側であっても「モンスターを追跡せよ」は、いまや私のミッションだと自認している。
とはいえ、できるだけ出費は抑えたい、というのが人情、というより懐事情である。恐る恐る調べてみると1週間の旅程で、航空券と宿泊費を合わせて16万円台でチケットがあることが分かった。これならもろもろ入れても25万円あれば足りるだろう。何とかめどは立ちそうだった。
あれは2008年9月の試合だったから、もう10年以上前の話になる。日本スーパー・ライト級チャンピオンだった木村登勇がウクライナで世界タイトルに挑戦することになり、同行取材を試みた。日本タイトルを12度防衛し、国内で圧倒的な強さを誇った変則ファイターの木村が世界的に層の厚い階級で、大仕事をやってくれるのではないか。快挙を達成した暁には仕事も入ってくるだろう、という算段である。
そんな大きな期待はウクライナ西部の街、リヴィウで砕け散った。旧ソ連時代の建造物と思われる古くて、暗くて、小さな体育館で、木村はチャンピオンの前に屈した。このときの旅費は航空券とホテルだけで30万円を超えていた。ボクシング雑誌一誌にそれほど長くないレポートを掲載してもらったが、旅費を回収するには遠く及ばなかった。もちろん行ってよかったし、木村のファイトは心に焼き付いた。ただ、言うまでもなく、このような「ほぼ自腹出張」は繰り返しできることではない。
日本人の海外世界戦が集中 幸運がライターのもとに
私は今回の出張取材にあたり、いくつかの編集部に話を持っていた。期待の大手総合スポーツ誌Numberからは「タイミングが悪すぎるんです」と本当に悲しそうな声で断られた。試合とほぼ同時期が発売日で、もし試合のレポートを載せようとすると、試合から2週間以上たってしまうというのだ。
快い返事がもらえない中、Numberのウェブサイトとボクシング・ビート専門誌で記事を書くことが決まる。基本は原稿料のみという約束ながら、ビート誌はある程度の経費をもってもらえると期待できた。2017年、モンスターを追ってアメリカに行ったときも、全額ではないが、サポートを受けていたからだ。
ビートの後ろ盾は運が味方したと言えるだろう。本来なら井上ほどの選手の場合、編集長クラスが自ら現地に飛んで取材をする。そうすると私が出る幕はない。しかし、この月は日本人選手の海外での世界タイトルマッチが連発しており、それが幸いしたのである。
井上の翌週に、WBO世界スーパー・フェザー級王者の伊藤雅雪(横浜光)がアメリカで2度目の防衛戦を予定していた。さらに同じ週、中国で元世界王者の木村翔(青木)と久保隼(真正)が階級を変えて世界タイトルに挑戦する。ビート編集部が組んだシフトは、編集長がフロリダ、ベテランの前編集長が中国、イギリスが私というものだった。
こうして私のイギリス行きは、ようやく金銭的にめどが立った(赤字ではあるけれど、耐えがたいほどの赤字ではない)。ボクシング担当の新聞記者でも、会社から出張の許可が下りず、涙をのんだ者もいたのだから、取材に行けるだけでも幸せなのだろう。私は最安値の航空券とホテルをパックツアーで購入し、初めてとなるイギリス取材の準備を整えた。
世界的にも注目を高めている井上は、ボクシング発祥の地、イギリスでどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。ビート誌、島篤史編集長の「経費はできるだけ出すようにします…」というややかすれた声を耳に、私はイギリスへ旅立った。