ラグビーはシンプルで寛容
そもそも寺廻健太を引き付けてやまないラグビーとはいったいどんなスポーツなのだろう。寺廻は組織委員会でラグビーの魅力を伝える仕事に携わるようになり、あらためてそのことを考えている。
「なんで好きなんだろうと考えたとき、子どもの視点に立つと、ラグビーってすごくシンプルだし、分かりやすいし、なんでも受け入れてもらえるスポーツだと思うんです」
実は寺廻はラグビー一筋というスポーツキャリアを送ったわけではない。子ども時代、サッカー漫画の『キャプテン翼』やバスケットボール漫画の『スラムダンク』が大人気で、サッカーやバスケットボールに親しむ子どもがたくさんいた。
そもそも出身地の広島はラグビーの盛んな地域ではなく、ラグビー部がある高校が4校しかない。身体の大きかった寺廻はバスケットボールのチームに入ったが「すぐにファウルで退場」と大きな体を持て余してしまった。そしてラグビーと出会うのである。
「バスケットボールはいつも怒られてばかりで私には合わなかったのですけど、これがラグビーをするとピタッときたんです。ラグビーはボールを持ったら純粋に走ればいい。ドリブルをする必要がないし、走って無理だったらパスすればいい。僕の中では新しい、楽しいスポーツでした」
ラグビーといえば、真っ先にイメージするのはスクラムやタックルだ。丸太のような腕をした耳のつぶれた大きな男たちが鍛え上げた肉体をぶつけ合い、骨がきしみ、時には血が流れることさえある。それはそれでラグビーの真実であり、醍醐味なのだが、寺廻が子どもたちにラグビーの魅力を伝えるときは、こうしたイメージとは違う角度からアプローチしている。
「ラグビーは鬼ごっこ。ボールを持ったら逃げよう。ボールを持っている人をつかまえにいこう。子どもたちにはそう教えています。すごく本能的だし、シンプルだと思いませんか?ラグビーはどうしてもハードルが高そうなイメージがあるんですけど、速くなくても、大きくなくても、すごく重くてもポジションがある。最初は何もスキルはいりませんし、すごく寛容なスポーツなんですよ」
最初のハードルさえ超えてしまえば、あとは楕円の魅力にどっぷりはまっていくはずだ。ボールゲームにして格闘技のラグビーは勇気が尊ばれ、ただテクニックに優れているだけでは尊敬されない。メンバーはボールゲーム最多の15人であり、チームメイトとの連携の重要性は高く、見えないところで汗を流す選手はだれよりも評価される。
「ラグビーにはさまざまなポジションがあって、ポジションごとに適任者がいます。ラグビーってフォワードの選手はバックスのプレーができなかったり、バックスの選手はフォワードのプレーができなかったりする。最近は社会の多様性が指摘されていますが、ラグビーはそもそもすごく多様なんです。だから互いに尊重しながら、チームでプレーしていく。これって社会に直結しているんじゃないかと思うんですよね。ラグビーをやる中で、そういうことが自然に身につくのかな、と思います」
ひとりでも多くの人にラグビーの魅力を
ラグビー経験者の結束の高さも、こういった競技性と関係があるのかもしれない。余談になるが、ラグビーワールドカップのパートナー企業である三菱地所は12開催都市に数千という単位でボールを寄贈するプロジェクトを進めている。この担当者が寺廻もよく知る慶應ラグビー部のOBだそうで、いかにもラグビーらしいエピソードではないだろうか。
ラグビーの普及、育成というと、自ずとターゲットはジュニア世代ということになるが、大人たちへの発信を忘れているわけではない。中でも、組織委員会の中でラグビーの魅力を伝える工夫をしているというのは面白い。
企業や自治体から出向組は、全員が本人の希望で組織委員会に入ったわけではない。寺廻のように体中にラグビーの血が流れ、退路を断って組織委員会に飛び込んだ人間と温度差が違うのはむしろ当然と言えるだろう。
「そこで組織委員会の隣にあるグラウンドで週1回、タッチフットをやっているんですよ。組織委員会でラグビー経験のない人が参加してくれるのはうれしいですね。どういう形であれ、今回ラグビーに関わってくれたわけですから、各職場に戻るとき、ラグビーって意外に難しくないんだよ、面白いんだよ、と伝えてくれたら最高ですよね」
11月2日の決勝をもってラグビーワールドカップが終わると、組織委員会の仕事は基本的に残務処理だけになる。ただし、ラグビー・レガシーのチームは大会終了後に体験会を予定している。
「これは大事だと思っているんです。一番盛り上がっているときに、ラグビーをやろうと思ったときに、ラグビーができる場所がなかったらもったいないじゃないですか」
いっときの打ち上げ花火では終わりたくないのだ。撒いた種が芽を出し、花を咲かせたとき、寺廻はあらためてラグビーワールドカップ2019日本大会の成功を実感することになるだろう。