熱気が充満する後楽園ホールで熱心にリングを見つめる人がいる。
ボクシング興行会社DANGANの古澤将太社長である。
プロモーターが興行を打つボクシングの本場アメリカと違って日本の場合はボクシングジムが開催するのが通例だ。DANGANはボクシングジムが主体となる日本プロボクシング界に〝風穴〟を開けた。ファンが観たいカードを積極的にマッチメークしてボクシングファンの支持を得てきた。後楽園ホール開催のボクシング全興行の3分の1をこなしてきた年もある。寺地拳四朗、伊藤雅雪らは、まさにDANGAN主体のマッチメークによってトップボクサーの仲間入りを果たしている。
コロナ禍にあって会場の入場規制も続くなか、DANGANは定期的に興行を開催しつつ、試合を映像で視聴できる総合配信プラットフォーム「BOXING RAISE」の会員数を順調に伸ばしている。ボクサー育成に目を向けるなど、新たな試みにもチャレンジしている。それもこれも、やり手の社長がいるからこそ。ピンチをチャンスに変えようとしているのがDANGANの今だ。
異色の経歴と言っていい。
ボクシング経験は一切ない。慶応大学理工学部出身で卒業後は金融の世界に入りながらも退社してこのボクシング興行の世界に飛び込んできたのだから。
なぜ、ボクシングだったのか。
古澤は父親の仕事の都合で小学校の6年間を名古屋で過ごした。勉強も、スポーツも得意だった。
「僕がいた学校はちょっと特殊で季節ごとに部活が変わるんです。春夏は野球をやって、秋は陸上で、冬はサッカー。年間通してミニバスをやっていて、1年通していろんなスポーツをやるんです」
そのいろんなスポーツのなかにボクシングはまだない。
地元の東京・墨田区に戻った中学生活で、ボクシングと出会う。ただし「する」のではなく「観る」ほう専門で。
何気なくWOWOWの「Excite Match」を観たことが始まり。お気に入りはナジーム・ハメドで、毎週のように本場の試合をチェックするようになった。だがマニアックになるまでには至らない。「友達にボクシングの話をしても、周りがついてこれない」となると、自分だけの楽しみでしかなかった。
ボクシングだけが好きということではなく、いろんなスポーツをやってきたこともあって全般的に好き。いずれスポーツビジネスに関わりたいという目標を胸に秘めるようになっていた。
慶応大学理工学部と言えば、エリート候補生だ。だが経営学の研究室に入り、理系の道ではなく本気でスポーツビジネスの世界を目指そうとしていた。
大学の先輩にスポーツビジネスで起業した人がいると知ると、その会社にインターンシップで働かせてもらうことになる。プロ野球の千葉ロッテマリーンズのイベントを手伝ったり、試合のプログラムをつくったりとスポーツに携わる仕事に魅力を感じた。2008年に投資会社に就職したのも、数年後にスポーツビジネスに携わるビジョンを持っての選択であった。
「いきなりスポーツビジネスの世界に入っても通用するのは難しいって聞いていましたから。それならばまずはいろいろな仕事をやらせてもらって、経験を積ませてくれるような会社に入ろうと。東証1部上場で新卒1期生となる会社があったので、ここがいいな、と」
実は後にプロ野球球団の株式を取得するIT企業からも内定をもらっていたが、投資会社のほうを選んだ。「もしそちらの企業に入社していたら、ボクシングの世界に興味を持つこともなかったかもしれません」と笑う。
入社後は不動産の評価部門を担当。多忙な部署だと聞いていたが、2008年のリーマンショックを契機に「急に仕事が少なくなった」。それでも不動産ファンドの資金管理の業務などをこなしつつ、宅建の国家資格を取得した。一方でスポーツビジネスに進むこともしっかりと考えていた。ただ、プロ野球、Jリーグ、バスケットなどいろいろと思案してみるのだが、どうも自分のなかでハマらない。
入社2年目のある日、インターネットでDANGANの記事を読んだ。DANGANとは2007年から始まったボクシングの興行で、中立的な立場からファンが観たいカードをマッチメークしているという。
「ボクシングって、プロ野球やサッカーと違って未知な部分が凄くあるなって思ったんです。WOWOWでボクシングを観ていたこともあって、興味が湧きました」
古澤はすぐに行動に移す。自分でチケットを買ってDANGANの興行を訪れる。初めて足を踏み入れる後楽園ホール、そして初めて生で味わうボクシングに心をわし掴みにされた。ボクシングの仕事をやってみたいとの欲求が一気に高まった。
後楽園ホールの廊下に出ると、インタビューに出ていたDANGAN創設者の瀬端幸男が目の前を歩いていた。
チャンス!
行動の人は、瀬端に挨拶をした後でいきなり「何か手伝わせてもらえることありませんか」と直談判する。いきなりの申し出に驚かれながらも「じゃあ一度、ウチのジムに来てよ」と〝面談〟に成功する。
輝かしい学歴に、スポーツビジネスに対する思い。すぐにゴーサインが出た。とはいえ投資会社の社員である以上、副業はできない。あくまで勤務外の時間帯に後楽園ホールを訪れて、受付の手伝いから始めることにした。セミファイナルとメーンは「試合を観ていいから」と、立ち見での試合観戦が楽しみになった。
勝者と敗者では天国と地獄ほどの差がある。自分の拳を信じ、持てる力をすべてぶつけて戦い、結果を受け入れて次に進んでいく。応援する人も感情を乗せ、熱狂を呼ぶ。この独特なボクシングの世界に、取りつかれてしまう自分がいた。
手伝いを始めて1年が過ぎていた。ボクシングのスポーツビジネスに携わりたいという気持ちはもはや抑えられなくなっていた。
不動産ファンドのチームが解散したタイミングで退職を決めた。2011年、個人事業主という形で独立して、全面的にDANGANにかかわるようになっていく。