渋谷の宮下パークに出来た行列が、ラフォーレ原宿まで続いたこと。
ディオールとコラボしたモデル(定価26万)が、数百万円で取引されたこと。
有名芸能人をキャスティングしたTVCMが放映されたこと。
これはすべて昨年スニーカー界で起きた出来事。
ということでブーム再到来と呼ばれて久しい今日この頃ですが、実は1990年代もスニーカーブームだったのはご存知でしょうか?
知らないなんてもったいない!
今すぐ、あなたを1990年代にお連れしたいと思います。
さあ、タイムマシンの準備が出来ました。
いったいどんな方が「あの頃」を語ってくれるのでしょう。
舞台はアメ横。
向かった先は、上野と御徒町の間にある東京名所の一つ「アメ横」。高架下約500~600メートルを中心に約400店ほどの商店街が広がっています。
そんなこの地に、1980年から立つ老舗スニーカーショップがあります。それが、「山男フットギア」。今回はこの山男フットギアで働くある方に、90年代を語っていただきます。待ち合わせに向かったのは、山男フットギアの姉妹店である「YAMAOTOKO underpass」。高架下に続く商店街アメ横プラザ内にあるお店です。
表通りに構える「山男フットギア」とは異なり、レトロな情緒漂うアメ横プラザ内にある店舗。今回のテーマと非常にシンクロする舞台ですね。
そこで我々を待っていたのは、この方。
山男フットギアでWEBリーダー兼バイヤーを務める宇曽井浩さんです。創業40年を超える国内屈指のスニーカーショップで15年目を迎える宇曽井さん。1990年代はもちろんのこと、ショップスタッフという立場で2000年代から今に至るまでのスニーカーシーンを駆け抜けてきました。まさにこのシリーズの初回にふさわしい最高のゲストです。
きっかけは、バスケットボール。
――宇曽井さん、今日はよろしくお願い致します!まずはじめに、宇曽井さん自身のプロフィールについてお伺いさせてください。
宇曽井:よろしくお願いします!僕は1981年生まれで、東京の立川で育ちました。
――東京のご出身なんですね!
宇曽井:そうです。ただ周りにスニーカーショップがあったわけじゃなかったですし、僕はバスケットボールからスニーカーやカルチャーに出会ったんです。
――ではバスケットボールをずっとプレイされていたのですか?
宇曽井:はい、小学6年生の頃からです。そして中学に入って初めて自分でバッシュを手に入れて。そこが、スニーカーの入りになったんじゃないかなと思います。
――なるほど。バスケ→バッシュ→スニーカーという流れですね!
宇曽井:そうです。そうやってスニーカーにふれるようになりましたが、やっぱり一番印象に残っているのは、「エアマックス95」ですね。(ブームに)早く気づいたというよりは、社会現象になっている途中で、学校に履いてきちゃダメとか履いてきた人の靴が隠されるとかあって。そういう出来事からブームを感じていました。ちょうど中学2年生くらいでしたね。
――当時はエアマックス95だけでなくバッシュ含めとにかく様々なスニーカーが人気でしたよね。バスケットボールを小学校からずっとプレイしていた宇曽井さんにとっては、様々な思い出があるのではないでしょうか。
宇曽井:バスケットボールは小学校からずっと中学、高校、大学までやっていました。大学が途中でドロップアウトしたけど、それ以降もとにかくバスケ中心の生活だったんです。ちょうどその頃、1996年くらいですかね。(元NBAのスター選手)アレン・アイバーソンが登場したんですよ。彼ってストリートカルチャーとかヒップホップカルチャーのスタイルだったじゃないですか。コーンロウに編み込んだ髪型もそうですし。
――アイバーソン!「w.w.j.d」のブレスレットが懐かしいです!
宇曽井:僕も漏れずにしてましたよ(笑) 当時は『DUNK SHOOT』 とか『HOOP』ってバスケットボール雑誌もあったじゃないですか?あの最後の方にあるコラムに「アイバーソンがどんな音楽を聞いているのか」というのがあって、その時にこれが紹介されていて買ったんですよ。90年代の思い出の一つですね。
――おおお、The Notorious B.I.Gだ!90年代東海岸ヒップホップのレジェンド的存在ですね。
宇曽井:当時はインターネットも普及してなかったし、イマイチこの読み方もわからなかったので(笑) CDジャケットを頼りに探しに行きましたね。
――今では考えられない買い物スタイルですね(笑) やはり当時はバスケットボールがきっかけとなってスニーカー含めカルチャーに触れていたということがよくわかります。ちなみにスニーカーで他に印象に残っているものはありますか?
宇曽井:もちろんスニーカーブームに気づくきっかけになったエアマックス95はすごかったけど、僕はバスケットボールをやっていたのでどちらかというとバッシュ寄りのスニーカーが好きになりました。当時は「エア モア アップテンポ」も人気でしたが、僕は「ズームフライト96」の方がカッコいいと思っていましたね。
――僕が初めて買ったバッシュもズームフライトのシリーズなんです。やっぱり当時を振り返ると本当にカッコいいスニーカーが多かったですよね。
宇曽井:スニーカー含めて、90年代のカルチャーって“掘り返す”ような形が強かったなって思うんです。
――“掘り返す”とは?
宇曽井:僕の場合は、バスケットボール少年でしたし、(それをきっかけに)ファッションやカルチャーも一応通ってはきたんです。例えば、テレビのNBA番組でミックステープが流れるコーナーがあって、DJ Jazzy JeffとThe Fresh Princeの『Boom! Shake the Room』みたいな曲をそこで聴きました。でもその時は英語も読めなかったですし。そうやってなんとなく触れてきたものが、少しずつ大人になる中で「あれはこういうことだったんだ」と掘り返してつながっていく感覚ですね。
――非常に興味深いお話です。なんとなく触れてきたものが、やがて掘り返されて自分の中でより形になっていくと。リアルタイムでその時代のカルチャーを「好き」と思うより、少し後に振り返ってみたら「いい時代だった」と思うみたいなものでしょうか。
宇曽井:そうですね。僕はそうやって触れてきたものを後で掘り返していったことで「90年代のカルチャーって好きだ」と思うようになりました。
――最初のテーマからかなり90年代のお話も含めてお伺いすることができました。続いてはもう少し宇曽井さんのお仕事に踏み込んで、スニーカーという側面からのお話もお伺いさせてください。
2021年4月公開