こだわりが詰まった新しい「虎の穴」
東京・目黒区の閑静な住宅街のなかに、「A SIDE STRENGTH&CONDITIONING」はある。オープンから1年、ここはプロボクシングの村田諒太や岩佐亮佑らアスリートも通う新しい「虎の穴」だ。
ガラス張りのオシャレな一戸建て。1階はフリーウエイトトレーニングやウエイトトレーニングエクササイズのスペースになっており、器具は世界的に高い評価を得ているというUESAKAを採用。2階は敏捷性や瞬発力を高めるアジリティトレーニング、スピードやパワーを向上させるプライオメトリクストレーニングなどの空間だ。インタビューに訪れたこの日も岩佐が訪れ、トレーニングを行なっていた。
このトレーニングジムを設立したのが、中村正彦ストレングス&コンディショニングコーチである。
「器具もそうですけど、戸建てのテナントにこだわったのはウエイトトレーニングで音を気にしなくて良かったり、細かいところまで配慮できるようにするため。僕が言うのも何ですけど、使い勝手のいいジムだなって思っています」
語り口調もスマートな人だ。。
ボクシング経験者ではない彼が名門・帝拳ボクシングジムと契約を結んだのは2010年になる。ジムワーク、ロードワークを重視するボクシング界にスポーツ科学に基づいたトレーニングを持ち込み、定着させた。西岡利晃、ホルヘ・リナレス、山中慎介、三浦隆司、粟生隆寛、五十嵐俊幸、下田昭文、木村悠、そして村田……帝拳ジムの多くの世界チャンピオンのボディーメークを担ってきた「肉体改造請負人」である。トレーニングキャンプにおいては世界王者に括れば長谷川穂積、ローマン・ゴンサレス、カルロス・クアドラス、伊藤雅雪らを指導してきた。
中村の指導を見ていつも思うのは、オーダーメイドであること。
押しつけるのではなく、あくまで選手が主体。コミュニケーションを図りながら、選手が理想とする体に近づけていく。
中村は言う。
「本人にやる気がないと成り立ちませんからね。それが大前提。あと、やらせるとなると僕も選手もつまらないじゃないですか」
村田との関係性を見れば、よく分かる。お互いの考えをすり合わせながら、方向性を決めていく。指導するほう、指導されるほうではなく、大人の関係性に見える。
コロナ禍によって村田が外出行動を極力控えているため、しばらくこのジムには訪れていない。
「電話で〝外出自粛期間中どんなことをやればいいですかね?〟と相談されたんで、刺激を変えてみようかって利き手じゃない左手を使ってご飯を食べるなど〝左手生活〟をやってみたら?って言いました。彼は僕だけじゃなく、いろんなコネクションがありますから姿勢の矯正をするとか、いろいろとやっているようです。彼らしいですよね」
しかしながら中村自身、週に1度は帝拳ジムに顔を出して、村田のボクシング練習をチェックすることは欠かさない。どのような状態なのかは常に把握しているつもりだ。
見て感じたことを伝え、そして村田からもレスポンスがある。
そうやって体づくりの方向性が決まっていく。
これまでもそうだった。
たとえば初めての世界挑戦となった2017年5月のアッサン・エンダム戦(WBA世界ミドル級タイトルマッチ)。元々、スタミナには自信のある村田だが、タフな戦いになることを想定してさらなる強化を図っていくことを考えた。
取り入れたのがピリオダイゼーション(期分け)だった。
試合から逆算してトレーニングに強弱をつけ、試合の日に最高のコンディションに持っていくやり方。試合2カ月前に沖縄で走り込みのキャンプを張り、都内に戻ってからは重量70㎏のスレッド(そり)を押すトレーニングを1日置きにこなす。選手はどうしても追い込んでしまうので、そこはトレーナーが正しく判断していかなければならない。
「この週は無理して強度を上げよう、でも次の週はいくら調子が良くても弱めにしようなどと計画的にやっていく。ピリオダイゼーションを取り入れたのは初めてだったのですが、うまくいきました」
エンダムにはダウンを奪いながらも1-2判定負けに終わったが、ミドル級のトップ相手にも通用する肉体はつくれた。リマッチではこのピリオダイゼーションをベースアップさせ、よりハードなメニューを課したという。リマッチでは完勝。一つの要因となったのは言うまでもない。
たとえば2019年7月、ロブ・ブラントとのリマッチ(WBA世界ミドル級タイトルマッチ)。ここでは週2、3回行なうスパーリングに合わせてコンディションをつくることに主眼が置かれた。「ピアニストはピアノの練習をしないとうまくならない。ボクサーもボクシングの練習をしないとうまくならない」との中村の言葉に村田も納得した。
これまではフィジカルのトレーニングも100%、ボクシングのトレーニングも100%、という村田本人のスタンスであった。ボクシングのトレーニングを100%やるために、フィジカルのパーセンテージを調整していくというやり方に変え、2回TKO勝利のリベンジに成功したのだ。この調整法はずっと踏襲されることになった。
オーダーメイドというのは選手側の要望をただ聞くのではない。
コミュニケーションを取って、実際に動きを見て、この選手にとって何が必要なのかを見極めていく。選手側に立ち、選手目線で考えて一緒に導き出していく。
中村正彦のこのポリシーはいかにして生まれたのか――。
2020年7月公開